戦争中のチュオンソンルート(資料写真) |
ホアン・アイン・トアン少将 (写真:qdnd.vn) |
不屈の意志と勇気をもって、ベトナム人民軍の兵士と民兵は素朴な道具を用いて、自動車を通行可能とするため、多くの区間で道路を拡張しました。当時チュオンソン兵士の一人であるボー・ソー少将は、次のように語っています。
(テープ)
「1968年、我々第98連隊は、ベトナム中部タインホア省ムオンロー県からラオス最南端のチャンパーサック省まで貫通する500キロメートルの道路を開通させました。この道路は高い山や深い川を通過しました。当初は経験不足から主に青年突撃隊に頼っていましたが、やがて工兵と兵士が主力となり、道路建設を行いました。後に、ブルドーザーやショベルカー、さらには一部爆薬も使用して、道路を妨げる障害を取り除きました」
ボー・ソー少将によりますと、ベトナム北部に投下された爆弾1000万トンのうち、チュオンソンルートだけでは400万トンの爆弾を受けたということです。1メートルあたり最低でも5〜10発の爆弾が落とされた計算になりました。工兵部隊は昼夜を問わず地雷や不発弾の除去を行い、3000本の橋を建設し、何千もの爆弾穴を埋めて、交通の円滑な維持に貢献しました。
1959年~1975年までの16年間にわたり、チュオンソン・ルートは密林を縫うように設けられた秘密の連絡路から、その総延長が約1万7000キロメートルに達し、20の省と地域を貫いて、ベトナム、ラオス、カンボジアの3カ国を横断しました。このルートは、後方であった北部から南部戦線へ数百万トンの武器、食糧、医薬品を輸送し、延べ200万人以上の兵士の往来を支えたものでした。第12軍団のリュオン・シー・ニュン元司令官は、次のように振り返りました。
(テープ)
「工兵部隊は「血を流しても道は塞がせない」という精神で道を切り拓いてきました。当時、敵軍による連日の爆撃と封鎖により、フェリー、峠といった重要拠点は絶え間なく攻撃にさらされましたが、ベトナム人民軍は「この道が断たれれば、別の道を拓く」という不屈の精神で応じました。その結果、チュオンソン路線には5本の縦軸ルートと21本の横断ルートが整備され、常に輸送の流れが保たれ、物資と人員が南部戦線に届くよう確保されました」
2011年、ベトナム記録協会はチュオンソン・ルートを「唯一無二の軍用道路」として正式に認定しました。この道路は、最も過酷な地形条件の中で建設され、標高2180mの高地を含み、国内で最も低温・最多雨・最少蒸発量を記録した特異な交通路でもあります。
現在、チュオンソン・ルートは歴史的意義を持つだけでなく、ベトナム現代交通の大動脈としても活躍しています。戦時中の小道から発展を遂げたこの道路は、北部と南部を結ぶ陸路として、この道路沿いにある各地方を含め、各地の経済に新たな活力をもたらしています。