山崎 こんにちは、山崎千佳子です。ソンさんとハノイ便りをお送りします。ソンさん、よろしくお願いします。
ソン お願いします。山崎さん、先週の木曜、4月30日は何の日か知ってますか?
山崎 南部ベトナム解放記念日、ベトナムの祝日でしたね。
ソン そうです。今年は40周年の記念の年だったんです。そのため、さまざまなイベントが行われました。
山崎 どのようなものですか?
ソン 戦時中に作られた曲、よく歌われた曲などのコンサートや、戦争に参加した元軍人と若者の交流会などです。
山崎 ベトナムの祝日や記念日には、いろいろな所にベトナムの国旗が掲げられていますが、ここ何日かも、赤い旗が翻っていますね。
ソン そうですね。ベトナム人には感慨深いですね。今のベトナム人の安定した生活というのは、戦争で多くの人が犠牲になった賜物だと思うんです。犠牲となった人たちだけでなく、4月30日のサイゴン陥落とベトナム戦争が終わったこの日は、日本を含めた世界の人たちから多くの支援があったから迎えられたんです。
山崎 そうですか?
ソン そう思いますよ。ベトナム戦争の時に、日本ではその反対運動が全国に広がって、たくさんの日本人が参加していました。神奈川県横浜市と相模原市では、ベトナムに送るアメリカ軍の戦車の輸送が阻止されたりしたんです。
山崎 そんなことがあったんですね。ベトナム戦争の反戦運動が日本でも行われたのは知っていますが、そこまでは知りませんでした。ソンさん、詳しいですね。
ソン 実は東京駐在の時に、この話題について取材したんです。今日のハノイ便りは、この横浜と相模原で行われた反戦運動についてお伝えします。
山崎 まず、反戦運動のきっかけとなったのが、1965年2月7日に開始されたアメリカ軍によるベトナム北部への空爆、北爆ですね。この北爆で、多くの一般市民が亡くなったことが報道されて、ベトナム戦争の反戦運動が始まったということです。日本での代表的な反戦運動団体は「ベトナムに平和を!市民連合」でした。いわゆる「ベ平連」ですね。「ベ平連」は特に規約も会員名簿もなくて、何らかの形で平和運動に参加した人や団体が「べ平連」と呼ばれたそうです。
ソン 横浜市でも反戦運動が盛り上がっていて、横浜市従業員労働組合が積極的に参加していました。当時、この労働組合のスタッフであった森田健一さんにお話を聞くことができました。森田さんは同僚と一緒に、平和運動を進めるため、いろいろ活動したということなんです。

(テープ)
ソン 国の解放と統一を望んで闘っていたベトナム人民は、この日本の反戦運動に大いに勇気づけられたと思います。
山崎 戦争を終わらせてベトナムに平和が訪れることが、森田さんや横浜市従業員労働組合スタッフの1番の希望だったということです。再び、森田さんの話です。
(テープ)
山崎 今日のハノイ便りは、ベトナム戦争当時に神奈川県横浜市と相模原市で行われた反戦運動についてお伝えしています。ここで、一曲お送りしましょう。「平和の旗」。
(曲)
山崎 「平和の旗」をお送りしました。ソンさん、1972年にあった神奈川県相模原市と横浜市での出来事を教えてください。
ソン はい。その年、崩壊寸前にあった南ベトナム政府軍のため、アメリカは相模原にあったアメリカ軍基地から、戦車と戦闘車両を南ベトナムに送ろうとしたんです。これに反対する労働組合や市民運動団体などが、相模原市内の橋などの前に座り込んで、戦車が通れないようにしたんです。
山崎 「戦車輸送阻止100日闘争」と言われているものですね。横浜ではどんな動きがありましたか?

(テープ)
山崎 日本でのベトナム反戦運動は、70年安保闘争に付随するもの、という認識だったんですが、今日のハノイ便りの話題は、次の世代にこれからも伝えていきたい出来事だと感じました。おしまいに一曲お送りしましょう。「戦車は動けない」。ソンさん、これはストレートな曲名ですが、どういう意味でしょう?
ソン これは、先ほどお話したアメリカ軍戦車の輸送を止めたことを歌っている曲です。
(曲)
横井久美子で「戦車は動けない」、お送りしました。
今日のハノイ便りは、ベトナム戦争当時、神奈川県横浜市と相模原市で行われた反戦運動についてお伝えしました。それでは、今日はこのへんで。