1946年2月20日にナムガン村(現在のタインホア省ハックタイン地区)に生まれたトゥエン氏は、20歳という若さならではの純粋さと、祖国への強い愛国心を胸に、抗米救国闘争へと身を投じました。

激しい戦闘が繰り広げられた1965年4月、マー(Mã)川の波がうねり、ハムロン橋が激しい爆撃にさらされる中、ベトナム軍の対空砲陣地は弾薬不足という危機的な状況に陥っていました。この歴史的な瞬間を振り返り、「タインホア省英雄・歴史の証人クラブ」の会長を務めるレ・ゴック・トアン氏は、深く心を揺さぶられながら次のように語りました。
(テープ)
「1965年4月のあの緊迫した瞬間、トゥエン氏は、華奢な体でありながら、自身の体重を超える重さの2つの連結された弾薬箱を背負いました。そして、マー川の堤防を駆け抜け、ハムロン橋を守る海軍を支援するために船へと送り届けたのです。その後、彼女はホーチミン主席に直接、その功績を報告する機会を得ました」

体重わずか42キロの女性民兵が、自らの体重の2倍以上にあたる98キログラムもの37ミリ対空砲弾薬箱2箱を肩に担ぎ、激しい弾雨の中を突き進む姿は、広く知られる象徴となりました。これほどまでに華奢な肩が、国を背負うほどの重みを支えることができたのは、一体どのような力によるものだったのでしょうか。それこそが、南北を結ぶ戦略的交通の要所を何としても死守するという、不退転の決意がもたらした力でした。

極めて卓越した貢献に対し、彼女には2つの三等戦功勲章とホーおじさんバッジが授与され、1967年1月1日には、国家から「人民武装勢力英雄」という称号が正式に贈られました。しかし、人々がこの女性に最も深い敬意を抱く理由は、その謙虚な姿勢にあります。かつての偉業について尋ねられるたびに、彼女は穏やかに微笑みながら、「それは集団の、そして戦友たちの功績であり、自己犠牲をいとわなかった世代全員の功績です」と語るのみでした。

かつての戦友たちの目には、戦時中の『弾薬を運んだテュエンさん』も、平穏な時代の『心優しいテュエンさん』も、変わることのない一途で誠実な心の持ち主として映っていました。
(テープ)
「ゴ・ティ・トゥエン氏は、タインホアの地を代表する見事な女性です。激しい爆撃の中でも果敢に立ち向かい、強い決意をもって任務を完遂しました。また日常の暮らしにおいては、近隣住民と喜びや悲しみを分かち合い、日々の生活の中で素晴らしい活動を数多く実践されていました」

戦争が遠い過去のものとなると、この英雄は素朴な日常生活へと戻りました。その後も労働に励み、社会活動に積極的に参加しながら、自らの世代の歩みを語り継ぐことで、未来の世代の心に火を灯し続けました。

先ほどのレ・ゴック・トアンさんは、平和な時代におけるトゥエン氏の粘り強い歩みについて、さらに次のように説明しています。
(テープ)
「戦時中も、そして平時においても、変わらぬ熱意を持ち続けた女性英雄ゴ・ティ・トゥエン氏は、常に輝かしい模範であり続けました。彼女は学校や様々な政治・社会団体を訪れては実体験を語り、ベトナム革命の歩みを広く伝えていきました。彼女の語る言葉は、どれも非常に誠実なものでした」

一方「タインホア省英雄・歴史の証人クラブ」で活動をともにしてきた友人であり同志でもあるグエン・ティ・マイさんは、親しい間柄であったトゥエン氏について、次のように思いを語っています。
(テープ)
「彼女は本当に穏やかな女性で、生徒たちにベトナムの歴史を伝える活動に、並々ならぬ熱意を注いました。これは非常に価値があり、意義深い取り組みでした」

トゥエン氏の逝去は、ご遺族や戦友、喜びや悲しみをともにしてきたタインホアの地にとって極めて大きな喪失です。しかし、かつて細い両肩に98キログラムもの弾薬を担いだその姿は人々の心の中に永遠に生き続け、ベトナムの革命的英雄主義の輝かしい伝説の一ページとして、祖国の建設と防衛という道を歩む現代の若い世代を照らし、インスピレーションを与え続けることでしょう。